日本の神様観について少しだけ
院生室で昼飯食いながらキリスト教徒の同期と話してたんだけど、聖書はタバコの巻紙にしたから所々欠けてるみたいな話をしたら異常者を見るような目線で会話を切られた。秘密にしろって言われたから伏字にしてたらいつのまにか神様の名前忘れちゃったアホ宗教みたいな話もしたからかもしれない。
まぁ今日も今日とて友人を一人失い、アンニュイな気持ちで新座から岐路につきながら僕らにとって神様ってなんだっけみたいなことを考えていた。折角なので持っている知識を記事にまとめてみることにした。
1.祖霊集団としてのカミ
言葉のまんま、ご先祖様の霊の集合的なモノをカミと呼ぶパターン。
考え方としては人が死んだあと定期的にイベント(49日とか)をして死人の魂を宥めつつ、33周忌が過ぎるとその魂は先祖の魂の集合体=カミになるという考え。平均寿命も短い時代だから死んで33年も経てば覚えている人もほとんどいないだろうし、ある意味合理的だ。
最初は各家庭に神棚(田舎の実家いくとあるやつ)を置いていたようなのだが、それだと面倒だからムラで一つデカいの作っちゃおうぜというのがローカルな神社のルーツの一つでもあるらしい。
「悪いことしてたら神様見てるかも」みたいな姿の無いものに対して引け目を覚える要因の一つかな。
2.日本神話における神
イザナミとかアマテラスとかスサノオとか、日本神話に出てくる神様を示す。多分神様として思い浮かべるのはコレ。
日本神話は天地開闢のあと、地母神に命じられたイザナギとイザナミが海を混ぜ混ぜしたら日本が出来てその後セッセセしたら色んな神様が生まれたぜみたいな始まりなんけど、面倒なのはその血筋を神武天皇に繋げて歴史に組み込もうと意図されて書かれている点。
WW2まではそれを利用して天皇を現人神として信仰するみたいな教育をしていたのだが、戦後それを禁止されてから日本人にとってのネームド神様は物語に出てくるキャラクターみたいな位置づけになり結果的に理解の薄いものになってしまった。
とはいえ日本神道の核みたいなのはこの日本神話にあるわけだし、年末年始にお参りする神社もこれらの神々を信奉する神社の末端だったりもする。
3.自然のイメージとしてのカミ
身近な自然を擬人化?して信仰するパターン。よくある川の竜神伝説とか、富士山を祀る神社とか。
こういった自然信仰のルーツがどこなのかはハッキリ知らないんだけど、日本は人間じゃなく自然を絶対者とする考えが浸透しているのは確かだ。
森林とか海とか、大自然を目にした時に感じるスピリチュアル感の原因はこの辺にあるっぽい。
- まとめ
つまるところ日本人にとっての神様とは
・祖霊集団
・神話の神様
・自然そのもの
が混在したものだと思う。
この認識が誰に教えられずとも遺伝子的な何かに刻まれており、その漠然とした神様観や信仰心を神社にお参りして昇華しているのだ。
なんでもし外人に
「HEYジャップ!日本人は宗教を持たないってほんとうかい?」
みたいに聞かれたら
「日本人は自然とかご先祖様を信仰してたしそれらをまとめる神話もあったんだけど、WW2以来日本神話を教育に組み込んでないからシンボルが無くなってるの。だから信仰心はあるけど宗教は持ってない変な民族なの」
みたいな返しをすればいいのかな。
あーーーーースッキリした。俺は謝らねえ。